元離宮二条城の見どころを紹介しています。 実際の見学順路と同じコースで、御覧いただけます。
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世界遺産登録 元離宮ニ条城


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  ・入城時間   8:45 〜 16:00 (閉城17:00)
  ・二の丸御殿  9:00 〜 16:00
  ・休城日
     12月26日〜1月4日、7月、8月、12月、1月の毎週火曜日
                             (休日の場合は翌日)

二条城 最寄の宿泊施設

京都全日空ホテル 京都国際ホテル

織田信長の二条城(旧二条城跡)

 現在の二条城が築城される以前に旧二条城が存在したそうです。 現在の位置より東、京都御苑を含む西側あたりだったそうで、地下鉄烏丸線の工事に際し石垣の一部が発見されました。 旧二条城の石垣(上の写真)は京都御苑の椹木口(さわらぎぐち)を入ってすぐのところに復元されています。(烏丸丸太町交差点を北へ約120m)そして、現在の二条城の中(本丸の西)にも復元されています。
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 以下は京都御苑の表示板に書かれている文章です。

推定旧二条城の復元石垣
 京都御苑の一隅を含むこの地に一つの城跡が発見された。それは永禄十二年(1569年)織田信長が、室町幕府最後の将軍、足利義昭のために造った強靭華麗な居城の跡と推定される。
 当時、イエズス会の布教活動をしていたポルトガルの宣教師ルイスーフロイスは、度々工事場を訪れて築城の様子を見聞し、その記録が残されている。
 この築城工事には、日々一万五千人から二万五千人の人役が従事し、居館とする建築物は、法華宗本山であった「本国寺」の荘厳・華麗なものを選び解体し、調度品とともに運び再建した。
 また、濠の石垣構築に際しては、洛中・洛外の石仏・五輪塔・庭石・石灯籠等を手近な所に求め、単なる用材として石垣に積み込んだのである。
 ここにある石垣は、地下鉄烏丸線の工事に伴う発掘調査で丸太町上がるに埋もれていたのを発見したもので、もとは南面していたのを、ここに復元したのである。
 これと同様なものが烏丸椹木町通・下立売通・出水通で発見されており、今も地下に埋もれているのである。  1980年 京都市
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 この石碑の写真は京都御苑より、下立売通を西へ行った所の平安女学院の敷地の片隅にあります。
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京都御所 京都御苑散策記

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二条城へのアクセス

※JR京都駅からJR嵯峨野線(山陰本線)に乗り換え、二条駅下車 徒歩約13分又は二条駅より地下鉄東西線に乗り換え、二条城前下車

※JR京都駅から地下鉄烏丸線に乗車、烏丸御池で東西線に乗り換え、二条城前下車

※車で来られる場合は、二条城駐車場
堀川通りの二条城東大手門(正門)前より入場できます。(北行車線より入場)

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タグ:二条城 京都
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最寄の交通

 地下鉄をご利用の場合は、この出口が一番近いです。料金は京都市交通局のHP
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 市バスをご利用の場合はここで下車。料金は京都市交通局のHP
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 車で来られた場合は、ここから入庫してください。駐車料金はこちら
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二条城の略歴

 二条城は、1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の祭の宿泊所として造営し、3代将軍家光が、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)に完成したものです。 したがって、家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合された、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができます。
 1867年(慶応3年)15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、ついで、1884年(明治17年)離宮となり、1939年(昭和14年)京都市に下賜されました。 2003年(平成15年)には築城400年を迎えました。 以上、元離宮 二条城パンフレットより

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タグ:二条城 京都
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東大手門(重要文化財)より入城

 この日、私は自転車で行きました。 自転車の駐輪は無料だと思っていたのですが、考えが甘かった。 ¥200−・・・・・。
 自転車一日共通利用券を200円で買わされました。 この券、他にも清水坂、嵐山、銀閣寺、岡崎公園の京都市駐車場公社の駐輪場で使えるみたいで、一日ですべてを見て廻れば、一箇所40円になり、お得!? (自転車で一日ですべて制覇するのは大変ですが)
 次に入城券です。 自動販売機で購入します。
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 大人600円払って、いざ入城!
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 モギリのお姉さんに入城券を渡し、半券を受け取ると、そこは東大手門。 ここまでは外から見えていますので、重要文化財、二条城東大手門はタダで見ることはできます。
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番所

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二条城東大手門(正門)を入るとまず目に飛び込んでくるものは、何やら人形の展示物です。

 番 所
徳川将軍不在の二条城中は、二条在番と呼ばれる江戸から派遣された大番組の武士によってその警衛の全責任がとられていた。 毎年二組(一組五十人)が四月を期して交代。 要所要所の番に当った。 この番所はその番士の詰所の一つで正面十間(十九、六メートル)、奥行三間(六、〇六メートル)の細長い建物であり、前側の二間畳敷に門番が勤務していた。 現存の門番所の遺構は少なく、貴重な建物となっている。
 この場面は、裃姿の上役のもと番士たちがその職務にはげむ姿を再現したものです。(看板より)
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 光線がガラスに反射してしまいました。残念
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 東大手門を内側から見るとこんな感じです。石段が付いていて、門の中で防御ができたのでしょう。
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表示板より

 東大手門を入り、正面に表示板があります。
 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工され、翌年3月に完成した。
 京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。 家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行なわれた。
 その後も造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣もそなえていた。 しかし、寛永3年(1750)、雷火のため天守閣を焼失、また、天明8年(1788)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓の多くを焼失した。
 文久3年(1863)、十四代将軍家茂が入城、攘夷の実行を誓い、また、慶応3年(1867)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意し、上表の使者を出している。
 明治4年、二の丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治26、7年には、本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。 昭和14年(1939)、京都市の所有に移り、史跡に指定された。
 城溝は、平城で、本丸・二の丸の二部よりなり、周囲には幅13mないし17mの濠をめぐらし、東西約480m、南北360mあり、国宝二の丸御殿をはじめ、台所・御清所・東南・西南両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財がある。(表示板より)

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唐門(重要文化財)

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 順路に従って歩くと、唐門(重要文化財)が見えてきます。門の中に見えている建物は、国宝二の丸御殿です。
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 これぞ桃山文化!と言うような素晴らしい彫刻が施されています。 写真で見るより実際に見たほうが感動も大きいですよ。
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 唐門を入り、振り返るとこんな感じです。
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二の丸御殿(国宝)

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 唐門(重要文化財)を入ると、二の丸御殿(国宝)が現れます。
 武家風書院造の代表的な御殿建築で、車寄(国宝)につづいて遠侍(とおざむらい)(国宝)式台(しきだい)(国宝)大広間(国宝)蘇鉄の間(国宝)黒書院(国宝)白書院(国宝)の6棟が東南から西北にかけ雁行に並んでいます。 建物面積は3300平方メートル、部屋数は33、畳は800畳余りあります。各部屋の障壁画は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。 また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。 また、御殿北東には、台所・御清所(おきよどころ)があり、いずれも重要文化財に指定されています。パンフレットより
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 唐門と同様に素晴らしい彫刻が施されています。 徳川幕府の権威が見え隠れしているように感じました。
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二の丸御殿(国宝)内

 二条城二の丸御殿(国宝)の外部を見た後は、いよいよ中へ入ってみます。 但し、観覧時間が決まっていますので、気をつけてください。 午前9時から午後4時までです。 時間に余裕を持ってご観覧下さい。 下の平面図の右下の車寄せから入り、番号順に進んでいきます。(平面図はクリックで拡大できます)
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 本意は写真付きでお見せしたかったのですが、二の丸内部は撮影禁止となっています。 したがって、以下は元離宮二条城HPとパンフレットの解説を引用させていただきます。

(1)柳の間・若松の間
 車寄せを入った正面の2間は、障壁画により「柳の間」「若松の間」と呼ばれ、共に目付役が控え、来殿者の受付をした所です。

(2)遠侍一の間〜三の間
 3部屋に分かれており、城へ参上した大名の控室です。虎の間ともいわれ狩野門下の筆によります。 写真の部屋は遠侍二の間で、虎の間とも呼ばれていて虎と豹(ひょう)の絵が描かれています。
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(3)式台の間
 参上した大名が老中職と挨拶を交わした所です。 将軍への献上品は、この部屋でとりつがれました。
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(4)大広間三の間
 外様大名の控えの間です。 部屋の正面上にある欄間の彫刻は、厚さ35センチの檜の一枚板を両面から透かし彫りにしたものです。 部屋廻りの柱の上にある金具を花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しといい、銅の地金に金張りしたもので、すべて手彫りです。

(5)(6)大広間一の間・二の間
 将軍が諸大名に対面した部屋で、最も豪華に造られています。 天井は、四方が丸く折り上がった「折上格天井」で、一の間は、中がもう一段折上がった「二重折上格天井になっています。
 帳台構(武者隠しの間)、違棚・床の間・付書院を備えています。 このような部屋の造りを桃山時代の武家風書院造といいます。 襖絵は狩野探幽の作です。
 1867年(慶応3年)10月、徳川15代将軍慶喜が諸大名を集め、大政奉還を発表し、徳川幕府の幕を閉じた歴史的な部屋です。
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(7)黒書院
 将軍と親藩及び譜代大名が内輪で対面をした所です。 大広間より若干規模は小さいのですが部屋飾りはより技巧的です。 襖絵は探幽の弟、尚信(なおのぶ)の作品です。
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(8)白書院
 将軍の居間と寝室です。 内部の装飾は表御殿と趣を異にし、絵画は狩野興以(かのうこうい)または長信(ながのぶ)の作で、居間にふさわしい水墨山水画となっています。
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(9)大広間四の間
 将軍上洛のときに、武器を収めた部屋といわれています。 襖絵は老松に鷹が描かれています。 狩野探幽(かのうたんゆう)の作といわれています。
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(10)老中の間
 3部屋あり、老中が執務をした部屋です。 一・二の間は芦雁図で、三の間は柳鷺図です。 長押(なげし)の上は白壁で質素にできています。

(11)勅使の間
 遠侍の東北の一角を占めています。 将軍が朝廷からの使者を迎えるときの対面所です。 上段に勅使が座り、将軍は下段に座っていました。
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 いかがでしたでしょうか。 二の丸御殿の次は二の丸庭園へと進みます。

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艮櫓の釣鐘

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釣鐘について
この鐘は、幕末の政変の時期、二条城と北側の所司代との連絡に使われたものです。 鐘は二条城と所司代に設置され、二条城では東北隅の艮櫓跡に所司代の千本屋敷から火の見櫓を移築し鐘楼も建て鐘が設置された。明治時代二条城に京都府が置かれた時も非常時に備え使用されていた。 幕府の政務の場であった二条城と所司代は幕末の混乱の中、朝廷側との政争で緊迫していた。 薩摩・長州など朝廷側の動向に備え、鳥羽伏見の開戦など非常時の連絡を告げ、住民にも知らせるため鳴らされたものです。(表示板より)

 動乱の時代を見てきた鐘も、今は隠居の身。 二人仲良く縁側で、お茶でもすすっている様に見えました。 ご苦労様でした。
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二の丸庭園(特別名勝)

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 二の丸庭園は、古来からの造園術にしたがい、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、小堀遠州の作と伝えられています。 庭には、1626年(寛永3年)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたといわれており、主に大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から見られるよう工夫されています。 色彩に富んだ大小さまざまな石組みにあらわれた力強さは、豪壮な城郭建築とよく調和しています。(パンフレットより)
 では、入ってみましょう。
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 二の丸御殿(国宝)に沿って順路が続いています。
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 進行方向の左手に池があります。
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 鷺がいます。 じっとしているので、作り物のようにも見えますが、正真正銘本物です。
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 振り返ると、二の丸御殿の大広間が。
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本丸櫓門(重要文化財)

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 二の丸庭園を抜けると、内濠があります。そして、東橋の向こうに本丸櫓門が見えます。大変頑丈そうな門のようです。
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 東橋の中ほどから内濠を覗くとそこには白鳥の小屋がありました。
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 本丸櫓門をくぐり、振り返ってみたらこんな感じです。 通路が狭いので一気に攻め落とすのは大変そうです。
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 いよいよ次は本丸御殿へと進みます。

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本丸御殿(重要文化財)

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 二条城本丸は、1626年(寛永3年)三代将軍家光の命により増築されたものです。 もとは城内に高くそびえ壮麗を誇っていた五層の天守閣がありましたが、1750年(寛延3年)に雷火により焼失、また1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の殿舎をもなくしました。
 現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年〜94年(明治26年〜27年)にわたり、ここに移し建てられたものです。 この建物は、1847年(弘化4年)に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で残っている貴重なもので、重要文化財に指定されています。
 本丸御殿南側にある庭園は、明治時代に作庭されたもので、天守閣跡は、この庭園の西南隅にあります。(パンフレットより)

 本丸御殿(重要文化財)の玄関です。(実際の見学順路は庭園側から入って来るので、ここは最後になります)
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 本丸御殿(重要文化財)の玄関棟の全景です。
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 庭園側から見た本丸御殿(重要文化財)です。
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 本来なら、期間限定で公開されているのですが、耐震強度の問題で、公開が中止になりました。 いずれ、補強工事を施して、一般公開されるとは思うのですが、非常に残念です。 


二条城本丸が耐震強度不足
     5年間公開中止、震度6強で倒壊も


 重要文化財の二条城本丸御殿(京都市中京区)の耐震強度が文化庁の基準を満たさず、震度6強以上の大地震で倒壊する危険性のあることが10日、京都市の調査で分かった。瓦葺きの屋根の重量を減らすか、柱を補強するなどの補修工事が必要で、市は毎年春秋の特別公開を今秋から当面5年間中止。今後、文化庁や京都府と協議し、早急に修理計画を策定する。

 二条城は市が管理・運営し、観光客も多い。市は施設の安全性を確認するため、京都工芸繊維大に依頼し、昨年度に国宝の二の丸御殿大広間、重文の本丸御殿玄関、さらに、本丸御殿御書院、東大手門の4つの建築物の耐震調査を実施した。

 文化庁の重要文化財耐震指針では、集客施設の文化財は震度6以上で倒壊せず、震度5強で大きく建物がゆがまないことを基準にしている。調査の結果、本丸御殿玄関は必要な強度の36−68%、本丸御殿御書院も28−33%しかなく、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があると判明した。

 市によると、本丸御殿の建物は1847年、京都御苑に建築されたが、明治時代に現在地に移築された。この際、柿(こけら)葺きから瓦葺きに改修したため、屋根の重量が増し、耐震強度が低下したという。本丸御殿玄関は1995年の阪神・淡路大震災で傾斜し、現在は支柱を設け応急補強している。

 また二の丸御殿も基準を下回り、震度6強でも倒壊する恐れはないが、震度5強程度で建物が大きな損傷を受ける危険があることも分かった。東大手門は土塀に倒壊の危険があるが、耐震性に問題はないという。

 市は二の丸御殿は常時公開し、本丸御殿も年3月と9月に約10日間に限って特別公開している。本丸御殿の耐震性を確保できるまで、特別公開を休止する。今後、瓦葺き屋根を柿葺きや銅板葺きなどに変えるなど修理計画を専門家とも協議する。

 世界遺産にも登録されている二条城には年間約130万人の観光客が訪れ、京都市内の観光客訪問地で8番目(2006年)に多い名所となっている。本丸御殿の特別公開には昨年約3万6000人が訪れたが「観光客数への影響はほとんどない」(市産業観光局)とみている。

京都新聞電子版より

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天守閣跡

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 天守台石垣高さ約二一米、上敷地四四五平方米、この上に五層の天守閣が寛永三年伏見城から移して建てられた。 寛延三年雷火により付天守と共に焼失し、以後再建はなかった(表示板より)
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 天守閣(跡)へ続く石段があります。 何処の城でもそうですが、かなり急な角度がついています。 着物姿でこれを登り降りするのは、さぞ大変だった事でしょう。 では登ってみます。
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 何にもありません。 
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 下の写真は天守台から見た本丸御殿(重要文化財)です。 向かって左手に見える高い山は、織田信長が焼き討ちにした延暦寺で有名な比叡山(ひえいざん)です。 右の高い山は如意ヶ岳で、通称「大文字山」又は「右大文字」と呼んでいます。

 毎年8月16日の夜8時に大文字送り火が実施され、大の字が夜空に燃え上がります。

☆所在地: 京都市左京区浄土寺七廻り町(じょうどじ ななまわりちょう)
☆山 名: 大文字山(如意ヶ岳または如意ヶ嶽=にょいがたけ)
☆火 床: 75ヶ所
☆大きさ: 一画80m(45間・19床)、二画160m(88間・29床)、三画120m(68間・27床)

 ここからは確認できなかったのですが、他にも「左大文字」「妙法」「船形」「鳥居形」があり、午後8時の如意ヶ岳の大文字着火後、5分間隔で順番に着火していきます。
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 天守台の北方向に目を移すと、NHK京都放送局の電波等が見えます。
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二条城内 旧二条城の石垣

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 京都御苑内に復元された織田信長の旧二条城の石垣が、ここにも復元されています。
 天守閣跡から順路に従い、本丸御殿の玄関を通り過ぎ、内掘にかかる西橋を渡ると休憩所とトイレがあります。 その左側にこの石垣があります。 あまり目立たないので見落としてしまいそうです。

旧二条城の石垣

 築城当時、日本において布教活動をしていたポルトガルの宣教師、ルイス=フロイスの記録によれば、旧二条城というのは現在の二条城以前に、永禄十二年(一五六九)二月に工事を開始し、常時一万五千人から二万五千人の人役を投入し七十日間程でほぼ全容を整えたということであり、期間を極めて短くするために石垣の石材に近郷の石仏・板碑・燈籠等を徴収し、積み込んだと記載されているが、そのとおりの石仏などがこの遺構に見られる。 その後、信長は義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れ「二条御所」とも呼ばれていた。
 天象十年(一五八二)の本能寺の変において明智勢に攻めいられ、信長の長子、信忠が自刃し城郭建築は焼失した。
 この石垣は、京都市高速鉄道烏丸線(地下鉄)建設に際し、烏丸下立売から発見されたものである。 石垣は「犬走り」をはさんで上下二段に分れて北面し、東西方向に走り、東南方向に折れる角をもつ。この遺構は移築に際し方向が九十度ほど変ったが、元来は東西方向に長く、八m強を測り、普通の石材約百五十個の他に四十個程の石仏、板碑、礎石が使われている。
 昭和五十二年  京都市  (表示板より)
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京都御所 京都御苑散策記  http://52473232.blog97.fc2.com/

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天守台と鵜

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 ここからは、道が2手に分かれます。つまり本丸・二の丸の外周に入ります。 梅や桜の季節なら南(本丸を出て左)、その他の季節は北(本丸を出て右)、時間がある場合は両方、3択です。
 私は天守台を見に、一旦南へ行きました。
 世が世ならば、ここに5層の天守閣があったのです。
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 天守台の水面あたりに2羽の鳥が仲良くとまっています。 黒鵜でしょうか。 仲が良さそうですね!
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北中仕切門(重要文化財)

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 二条城本丸(重要文化財)を出て、西橋を渡り、右(北)に曲がると、内濠沿いに進む道が続きます。 内濠には白鳥が気持ちよさそうに、泳いでいます。 
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 北中仕切門(重要文化財)が見えてきました。
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 門をくぐり、振り返ると、こんな感じ。
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 なぜか順路と反対側に表示板がありました。
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加茂七石

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 北中仕切門を出たところに、加茂七石がありました。
 京都市内を流れる加茂川、賀茂川、鴨川。 いづれも読みは「かもがわ」で、同じ水系なのですが、場所によって漢字が違います。 北から順に加茂川、賀茂川、鴨川と漢字が変化していきます。
 加茂七石は、「かもがわ」の上流でとれた庭石で、古来より京都の庭園には多く使われています。
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清流園

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 加茂七石を過ぎると、左手(北)に清流園が広がっています。二の丸庭園も良かったのですが、この清流園もひけをとらないぐらい素晴らしい庭園でした。

 清流園は、江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石約800個を譲り受け、これをもとに二条城にふさわしく、雄大・明朗・風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え1965年(昭和40年)に完成しました。
 庭には、池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体にした洋風庭園部分からなり、面積約16500平方メートル、園内には、香雲亭、茶室和楽庵があり、市民大茶会をはじめ二条城を訪れる国賓公賓の接遇場所にも利用されています。(パンフレットより)
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